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今回は東武百貨店で開催のアートフェア東武のご案内です。
最後までお読み頂けますとうれしいです。
目次
1.アートフェア東武2021
今回「~海を渡ったアートたち~」と題したアートフェア東武2021が東武百貨店で開催されます。
今回展示される画家の中から著名な3人の巨匠にスポットを当て、その作品の魅力についてご紹介します。
1.1 藤田嗣治展
日本の伝統と言える美しい線、日本の心である余白の美。
藤田嗣治は、この2つの特性を持った独特の作風で才能を開花させた日本が誇る巨匠の一人です。
1.1.1 藤田嗣治のネコと少女
今回展示される「ネコと少女」は、フランスからレジオン・ドヌール勲章を贈られた翌年の1926年の作品です。
藤田嗣治が亡くなった1968年にも、東京と京都で開催された「藤田嗣治追悼展」で代表作として出品されました。
画像出典元:http://www.tobu-dept.jp/ikebukuro/event/detail/3711
「すばらしい乳白色」と絶賛された独自の下地の技法を活かした表現により、藤田がパリで時代の寵児として名声を獲得した時期に制作されました。
肌の質感を思わせる滑らかな乳白色の下地には、細くやわらかな輪郭線が引かれるとともに、陰影を表すぼかしと淡い彩色が施されており、藤田の技法の特徴をよく示しています。
子どもや小動物など、藤田が生涯にわたり好んだモティーフを描いた作品で、猫を胸に抱く少女の仕草は子どもらしい愛らしさを感じさせる一方、正面を見据えるまっすぐなまなざしと固く結ばれた口元からは、藤田の描く少女像らしい静かな威厳が伝わってきます。
1.1.2 藤田嗣治の波乱の人生
藤田は第2次世界大戦の戦火のパリを逃れて日本に帰国した後。軍からの依頼で「作戦記録画」を手掛けていきます。
しかし藤田は、45年の敗戦後、画壇から「戦争協力者」の烙印を押され、様々な誹謗中傷にさらされることとなってしまいます。
当時藤田は悔しさと失望から、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と述べています。
そして49年、ついに藤田は日本を出国し、若い頃を過ごした懐かしいパリのモンマルトルへと飛び立ちます。
そして彼は以後二度と日本の土を踏むことはありませんでした。
55年にはフランス国籍を取得し、さらに59年にはカトリックの洗礼を受けることになります。
こうして日本人「藤田嗣治」はフランス人「レオナール・フジタ」となったのでした。
その後の藤田は晩年にかけて、「礼拝」などの宗教をテーマにした作品を多く残していきます。
当時すでに70歳を過ぎていた藤田が一番欲しかったものは心の「安らぎ」だったのかもしれません。
その後、藤田はフランスに礼拝堂を建てる計画に取り掛かり、設計から内部装飾まですべてを自身で手掛けた礼拝堂は66年に完成します。
しかし藤田は、礼拝堂が完成した2年後に亡くなってしまいます。
彼は今もこの最後の作品である礼拝堂内の祭壇の下で安らかに眠っています。
1.2 棟方志功展
あふれる想像力と自由奔放な作風で国内はもとより、海外でも栄誉ある賞を受賞した棟方志功。
その功績は現在でも板画家・ムナカタとして世界的に高い評価を得ています。
1.2.1 棟方志功とゴッホ
棟方志功は、少年時代にゴッホの有名な「ひまわり」に魅せられ「わだばゴッホになる(私はゴッホになる)」と言ったと言われています。
この絵を見た衝撃をうけて「東京に出て絵の勉強をしたい」と決心し、出発する時に見送りに来た皆の前で、「帝展に入選するまで何があっても青森には帰ってきません。」と誓ったそうです。
1.2.2 棟方志功の受勲
棟方は、1955年に(52歳)ブラジルとイタリアで行われた世界でもトップレベルの展覧会で、グランプリを2年連続で獲得しました。
そして1970年(67歳)には天皇陛下より「文化勲章」を受賞しています。
棟方は、生涯多くの裸婦像を創作し、その裸婦像に鶏を配した作品もいくつか制作しています。
1.2.3 棟方志功の女人鷹の柵
今回展示の1951年作「女人鷹の柵」は、女人の鷹匠の腕にとまる鷹の緊張感が、女人の鷹匠の気高さをそのまま表現している作品となっています。
画像出典元:http://www.tobu-dept.jp/ikebukuro/event/detail/3711
棟方板画の簡潔で力強い造作性を端的に示すこの作品は、鷹を手にする女人を通して。棟方が好んで表現した女性像の一典型をなしています。
題名に用いられた「柵」の文字は、四国八十八ヶ所を巡礼する人々が寺へ納める廻札を意味するといいます。
「一柵づつ一生の間、生涯の道標を一つづつそこへ置いておく、柵を打っていく」という意味で、棟方は自身の作品タイトルに「柵」を多く用いています。
1.3 平松礼二展
今回フランス文化省より芸術文化勲章・シュヴァリエを受勲した平松氏の作品を”受勲記念・モネへのオマージュ”として展示しています。
平松画伯は50歳を過ぎてからモネと出会い、モネの作風と恋に落ちてしまいます。
それ以来、それまでの東洋志向を一時中断してフランスに通い、印象派の絵画を追いかけていきます。
そして「ジベルニー・モネの池・風音」「モネが歩いたジベルニー村」「モネの池・蝶が舞う」「モネの池 花弁屏風」などモネの作品からインスピレーションを得た作品を数多く残しています。
また平松氏が1999年に発表した「印象派・ジャポニズムへの旅」は国内外で大きな話題を集めました。
しかしその視線の先にはいつも、モネも見ていた日本画のオリジナリティーが潜んでいます。
平松氏の作風に見られる琳派に通じる華やかさとデザイン性、そして日本画の画材を活かした艶やかな色彩美が平松芸術の特質となっています。
1.3.1 平松礼二の画集と書籍
求竜堂グラフィックスより出版された「印象派・ジャポニスムへの旅ー日本画家の視線 平松礼二画集」では、日本画家の視線で描いた平松氏の繊細な世界を鑑賞することができます。
またPHP新書から”現代の日本画はなぜ世界に通用しないのか”という副題のついた平松氏の書籍「モネとジャポニスム」も出版されています。
1.4 アートフェア東武2021 開催概要
【開催期間】2021年4月1日(木)~4月13日(火)
【開催時間】 午前10時30分~午後7時
【関連記事】
池袋の憩いのオアシス「空中庭園」は、モネ晩年の大作「睡蓮」にインスピレーションを得て造園されたものです。アートフェア東武を見終わった後は、ここでしばし佇んでモネの愛した世界を感じてみてはどうでしょうか。
最後までお読み頂きありがとうございました。
Let’s enjoy Ikebukuro!!
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